自己統合

下の記事、なんでこんなに気にしてたんですかね…と少し冷静になれたのでメモ書き。

項目ごとに分けてはいるが、同じようなこと書いてるな…ハハッ。

 

○さらざんまい

あの作品が現代社会に対する風刺なのか単なる象徴なのか観察結果なのかよくわからないが、、、このたびの自分の気持ちの推移を客観的観察(できてない)していて、あ、これさらざんまいだ!と思った。別に今回は秘密もなにも無い関係ではあるが「他人とつながりたい気持ち」に反して自分の反省点や罪悪感、ちょっとした相反する気持ちを持っている。その妥協点を導くには自分だけで完結させていては意味がないしそこからのアクションが最重要なのになぜ人は行動を起こせないのか…。他者との関係で悩んでるのになぜ解決策を考える上で他者自身を工程に入れないのか…。

 

○義務感

関わることすべてに義務感を感じすぎている気がする。まじめすぎる。肩の力抜きたい。

メールは返信するものである、○○時間(○○日)以内に返信するという考え方、仕事で取引先にメールしたら電話する、などの義務感。

自分が決めた日々のルーチンワークが特にそう。「○○しなきゃ!」で自由になんでもしていいはずの時間がすべて埋まっていく。最初は充実感があったけど、ふとこれ息苦しいな…と思い始めた。

さらには長期的目線が苦手というか、やるからには成果を出したいが故に「一日でもサボったら後退する…!」という気持ちが存在する。1抜くことでその後も自分が「1日くらい~」と言い始めてしまうのではないかと恐れている。私はそんな性格じゃないのにね…どーせ続けるんでしょ…。まあその狭間で苦しんでいるんですけど。。

 

途切れたらつなぎ戻せないのではないか、連続性に対する依存がある気がする。

 

他の面から考えると…

夏から始めたジムは「月額費払うから定期的に運動するようになるでしょう…」という半ば強要性を持ちつつルーチンに組み込むために始めた。しかしその強迫観念(言い過ぎ)が生活の中で大きなウェイトをしめるようになり、結果的に「返ったら○○やりたい」「○時には筋トレ終わらせて帰らねば…」みたいな…ほかのこととの優先順位がうまく付けられずに(強いて言えばどれもやりたい)自分の首だけがしまっていく生活がしんどくなり、やめてしまった。。もっと楽しい気持ちが維持できれば続けられたんだけど。楽しかったけどマイナス面が目についてしまった。

なんでもっと気軽な気持ちで続けられなかったのか…。きっと、自分の給料がもっとあれば「費用を出しているという気持ちから来る義務感」は薄れたとは思う。ハッキューツラー。

逆に目標があっても続けられたかもしれない。とくに理想を掲げずに「週○日通う」時間の縛りだけ頭にあったのも問題だったな。

 

SNS文化

Twitterはもはや私の中でインフラに近い存在で、趣味関連から防災・政治経済の情報取得に欠かせない。なのでしょっちゅう見ている。そしてSNSから始まった友人、リアルの友人のツイートもしょっちゅう見るので常につながってるような錯覚を持っている。

興味があるツイートがあれば@を送る。さらに返信が来る。話の区切りが適当についたら終了。

大体の返信が数時間で返ってくる。日本に住んでいる友人しかいないので時差もない。だいたいその人の生活スタイルも分かる。(詳細は知らんが、この時間はとりあえず働いてるだろうから○時まではリアクションなしだろう、など)

リアルタイムでのやりとりに染まりすぎてる。(ではなぜSlowlyを…)

そして「相手のことをざっくりと把握できている」ことへの安心感を持って人間関係を保っている。ある意味平和ボケなんですかね…。そういえばTwitterって10年ぐらい続けていて、今仲いい人たちとも7,8年交流があったりそもそもリア友だったりして、新規の交流って最近はあまりしてないかも。そういう「その人がどんな人物であるかは付き合いを続けていくまたはある程度回数をこなさなければわからない」という気持ちが薄れていたのかも。

 

そいえば下の記事の彼は他のソーシャルメディアはやってないと言っていたな…。

 

○柔軟性のNASA

まじではやく「国際人」的な考え方を持ちたい。でも28年間日本で生きてきて日本人の両親を持って友達も日本人ばかりで多様性に対する経験が圧倒的に足りてない。無意識の差別、人をカテゴライズする考え方、守備範囲の狭さ…などなど、、私ってひどい人間だな…と思うことが本当に多くて凹む。

基本的には、他者には敬意を示し、親切に振る舞い、でも他人は他人だよね、って考え方で生きていきたい、し、そこそこ出来ているという欺瞞があった。。でもその「出来ている錯覚」は同じような考え方の人たちと同じように生きてきた中で育った感情で、実際に 公約数の少ない人 と交流すると私って差別だらけの人間じゃん…という評価に至った。。

常識を堅いもの考えすぎているし、そもそも常識の範囲が狭いし、柔軟性なさすぎマン。つらい。

 

あとTwitterでもLINEでも私はよく既読無視するしLINEに至っては連絡手段としか考えていないから最低限の「何日暇」「何時集合ね」「着いた」とかそれ以外はあんまりやりたくない。逆に友人にはクソどうでもいい内容の雑談(失言)をダラダラ流してきてウットーシーナーと思うこともある。認識の違い。人との共通認識にずれがあるとわかっているはずなのに、なぜそれを万事に適応して考えることが出来ないのか…。

 

 

書いてて思ったけど、こんな「こうあるべき!」的な潜在意識があるんならそりゃ生きにくいのでは私???

まあ一方で「なんで私はこんなことできないの?」って思ってることも多くて、え、肩の力抜くのでは…?と自己矛盾も起こしている。とはいえ自分に対する失望は感じても「現在地」としての状況把握なので、こういう気持ちが明日も生きてマシな人間になるよう努力するよ…というモチベーションにつながってはいます。。

 

自由ってなんなんですかね…僕たちは、生まれたときから自由なのでは…?

人に対する期待をしないとか、ほどよい関係を築くとか、意識は出来ていても無意識が一致してないから接続不良みたいになってるしなあ~~~。

人生は修行ではないと思う一方で、どうせ反省と改善を繰り返して“人生をやっていく”タイプの人間なので苦しさは許容してるし今より良い自分になれるよう頑張っていくよ…