twitterを1週間禁止した

1週間twitter禁止令を出した。

最近私の中で「連続性への依存」がトレンドなので自立を促すため、常に新しい情報が流れており1番の依存先であるtwitterを触らない生活を実施した。以前も依存しすぎ、と思いお触り禁止をしたことがある。でも今よりももっと依存していたので(大学生のときだったか…?)、そもそも1週間もツイ禁できなかったし依存しているなという再確認だけができたっていう…ただ失敗しただけの前回。

でも今はちょうどいい依存度(?)だったのか、まるまる1週間実験ができたので、今回の収穫を記録する。

 

自分にとってのtwitterとは

・情報源

・独り言、雑談、場合によっては連絡の場

・とりあえず常に見ているWebサイト

 

まったく新規性のない気づきであるが、この認識から新しい生活習慣への道が…開けた…気がする…。

・リアルタイムで知る必要のある情報はほとんどない。ほとんどが即効性のない、もしくは必要がない情報。

 チケットやらなんやらの申し込み関連だったら猶予期間があるし、1週間知らない程度ではビハインドはあまりない。仮に波に乗り遅れて逃してしまったとしても、最近のわたしの感じでは、逃しちゃった~まあいっかあ~って気持ち。間に合ってればやるけど間に合わなければどうでもいい。もう終わってしまったら何思っても無駄だし。

 災害速報は別アプリで通知ありにしているので心配は無用。

情報量に圧倒されて疲れた可能性が高い。フェイクニュースだってあるし、質より量、になっていて本当に無駄に疲れていたんだな。ここが依存への第一原因だとすると、世にいうSNS疲れと私の性質は少し違うんだろうな。

twitterは生存確認の場である、という認識もあった。確かにその通りで「あれだけツイートしてた人が●日もいないなんて、実生活で何かあったのか?!」と心配する気持ちも分かる。でもそれってかなり異常で、人のリアルタイム情報(物理的にも精神的にも)が分かる、自分のをバラしている生活って怖い。現在地が特定されかねないツイートは控えるようにしているが、それでも精神状態の移ろいが見られてるって普通に考えて怖いな…なぜ私はあんなことを…。吐き出す場だからと思っていたが、ええ大丈夫?という綱渡りだったのかも。本当にただただ行き場のない愚痴がはきたいなら、鍵付きフォロワーゼロのアカウントにしてもいいのに、公開してるということは…垢分けめんどくさい+構ってちゃんみたいな一面もあったのかな…。

・最初は「暇つぶしのためのtwitterだったはずが次第に「やらなければならないことリスト」にインしていたので、それがなくなることでやるべきことの優先順位を変更できた。本を読んだり、集中してゴシップガールを見たり、じっくりとお風呂に入ったりストレッチしたり、他のことに時間を使うことで1つ1つの動作に集中することでご自愛にも繋がっている。そして布団に入ってだらだらスマホをいじることもなくなり横になったらすぐ就寝、目の疲れも少し減った気がする。

決して、チェックしなければならないサイトではない。

 

これを機にやめてしまうのも手だけど、ここでしか連絡の取れない人もいるし10年続けてきたと思うと愛着が…。。「着」のつく感情、執着とか愛着とかあまりポジティブとも思えないけど…でも愛着あるよね…曇りなき眼で見た時に必要か不要かで判断すると大体は不要なんだけどさ…。

「自立とは依存先を増やすこと」という言葉があるが、今の私に強い依存先はないと思う。というか依存先と依存率を分配していくと依存という言葉にはふさわしくない感情が育ってくるなあ…ただの目を向ける先、になる。

 

こういう収穫があったはいいが、また依存の域に達しかねないので今後も適度にツイキンしていこうかなあ~という所存。

当たり前を疑うことは大事だ…。